1681年米沢藩主上杉氏が牛の飼育を奨励したのが記録に残る飼育の始まりとされ、実際に牛肉を食べたという記述は市史によれば明治元年、官軍に牛2頭を献上し、医師や負傷兵に調理して出したのが最初となっています。
明治4年から8年までの間、「卸雇外国語教師」であったチャールズ・ヘンリー・ダラスが契約を終え、米沢を去るにあたって、米沢牛が有名となるきっかけが起こることになります。
ダラスは任地米沢の牛肉が非常に美味で、品質も暖かい地域にはないような優れたものであったため、横浜の居留置に土産を兼ねて紹介したところ、大変好評を博し、米沢牛の名が一時広まります。
明治初期の牛は食用として育てられていなかったにも関わらず、美味であったことには理由があります。
それは、家族同様に飼い牛を大切に扱う人情と、四季の変化が厳しい風土、そして、なにより水と草に恵まれたことが自然に結びついて、優れた肉質に仕上がることになったのです。 |
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肉牛の種類は黒毛和種とし、置賜管内3市5町の畜産農家で12ヶ月以上肥育され、技肉に証明印が押印された外観及び肉質・脂肪が優れているものを米沢牛といいます。
牛というのは本当に敏感で繊細な動物です。育つ環境や餌によって肉質が全然違ってきます。米沢牛の肥育農家はたいてい目が届く40頭前後の牛を育てています。五代前までさかのぼる血統書付の、いい米沢牛が育つのに、血統5割、餌3割、管理2割といわれています。寝床をきれいに整え、ブラッシングをし、手間ひまのかかるものですが、餌には特に気を使います。
牛一頭に田10アール分のわらが必要で、稲はくい掛けや天日干しをし、足りない分は近所の農家から分けてもらいます。他に大麦、大豆、トウモロコシ、フスマなど国産の質の良いものを求め、体調に合わせた配合をして食べさせます。各農家でブレンドはちがいますが、皆、1頭1頭の健康を第一に考え、より良い肉質を作るため厳選した餌を食べさせています。 |
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